住まいを創っていく上で一番大切なことは、いきなり方眼用紙に必要な部屋数を間取っていくことではなく、建物そのものよりも、まず自分たちの在り方を、心静かに考えてみることなのです。自分たちのライフスタイルとは、いったいどういうものであるのかを自分の心に問い直してみてください。自分たちの夢や希望、あるいは欲望というものが、本来どういうものであったのか、あるいはこれからどうあるべきものなのかということを正確に測り出してみてもらいたいのです。それがすべての出発であり、すべての中心であらねばならないと思うからです。私たちは、借りものの住宅を創ろうと思っているのではありません。住宅の質ということを言うのなら、それはそこに住まう人の個性に、その住空間がどれだけ対応しているかという点で問われなければならないものだと思います。人の顔が千差万別であるように、住宅もそこに住まう人によって、様々な形があるべきなのです。
住宅とは、ひとつの主張であると思います。服装にしても、普通他人が自分と全く同じような装いでいるのを見つけたような時、何か気恥しい思いがして落ち着きを失ってしまいがちです。服装が単に、私たちの体を外的条件から保護するという目的ばかりでなく、その人の人格やセンスの表われでもあるように、住宅も、私たちの生活の単なる入れものということだけではなく、私たちのライフスタイルの積極的な主張の表われでなければならないと思います。自分の気に入った服を身につけている時、私たちは、余裕を持って自分白身を演出することが出来ます。同じように、住宅も自分たちの生き方や、考え方にぴったりしたものであれば、自由で活発な生活を築いてゆくことが出来るでしょう。
自由な発想によって住まいの空間を考えてみようではありませんか。今まで住宅は「住む機械」だとか言われてきたように、あまりにも機能とか効率とかの面だけが強調されすぎてきたように思います。単に、住宅は、食事をして寝るだけの空間ではありません。 ひなたぼっこをする空間、風と対話する空間、ネコと戯れる部屋、または誰も知らない部屋とか、外部と内部が半転する空間などもおもしろいでしょう。あるいは、食堂の中にブールがあってもいいし、温室の中に浴槽をしつらえてもいいのです。モダニズムの住空問として、様々な豊かな手法がすでに私たちの手の中にあるのです。それを使わない法はありません。また、皆様から全く新しい発想が出れば、私たち建築家はきっと大歓迎するでしょう。建築は、豊かな遊びのプレイグラウンドだといった建築家がいます。私たちに、ユーモアとちょっとした発想の転換があれば、私たちの住まいの空間を、新鮮な驚きと発見で満たすことが出来るのです。
光と緑と風とは豊かな自然の恵み、住宅の快適さの基本条件と考えています。 住宅にとってまわりの環境は非常に大切なものです。緑豊かな恵まれた環境に土地を求められた場合は、当然まわりのそうした好条件を積極的に建物の中に生かしていくことを考えなければなりませんし、そうした大切な外部環境を壊さないよう気をくばることも忘れてはならないことです。 ふんだんな光と、適度な風と、緑の演出をとり入れることを考え、外部には、ささやかでもちょっとした緑の空間を設定することによって、周りの環境にうるおいを与えてあげることが必要なのではないかと思います。
建築家として、住宅の良し悪しの判断をせまられたような時、その住宅の空間構成を別にすれば、その住宅の基本的な仕上げ材の使われ方の良し悪しを見て判断するようにしています。それは、その住宅を作った人の、ものに対する考え方やセンスの程度がそのまま表われてくるからです。また、納得出来る材料の使われ方をしている住宅は、それなりに、ある程度以上の空間の質をも確保しているものです。画家であればキャンパスや絵具、書道家にあっては墨や紙、陶芸家にあっては土や釉といったそれぞれの材料の材質感を大変大事に考えるはずです。 建築家も、ものの材質感といったものには、非常に敏感になるものです。
家族みんなが何となく一緒にいて勝手なことをしている。旦那さんが釣りの道具の手入れをしていれば、奥さんがアイロン掛けをしているのが見え、側でお子さんが絵をかいたり、雑誌をめくっていたりする。それぞれ勝手なことをしているのだけれど、家というものの中で、無意識のうちに何となく結ばれている。そうしたスキンシップが以外と大切な意味をもっていると思うのです。そうした意味で、家の中心としての居間の設定の仕方は、大変大事なものとなってくるはずです。家のどこにいても、その気配で何となく家族の存在が感じとられ、やがてみんながひとりでに集まってくるような魅力のある空間の演出が必要になってくるでしょう。そうした自然に家族を包み込む快適でゆったりとした空間の提示が、今住空間を構成する上で中心にすえなければならい課題であるように思います。コミュニケーションの場を確保した上で、プライバシーということを考えても遅くはありません。幸せな家族生活があってこそ、住空間は活性化するのです。
空間には、連続性があり、リズムがあります。空間の豊かさを弓き出すにはそれらをうまく組み立てていかなければなりません。部屋と部屋との空間の有機的連続性をはかり、そのボリュームの対比によってリズミカルに空間を流動させてゆくことが大切です。さらに空間は内部だけにとどまりません。外部が内部に進人し、内部が外部に流れ出すような設定をすれば、さらに空間の領域は広まってゆきます。豊かな空間体験は、私たらの気持ちを蘇生させ生活に変化を与えてくれます。それにはまず、私たちの心を、イマジネーションを全開にすることです。
ある世代が工夫し創り上げたものを次の世代がそれをより発展継承していく、そうした連続性が本来の建築文化というものを高め、確かなものとしていくのです。建築の質というものは、私たちの個々の皮膚感等によって学び取られ受けつがれていく性質のものですから、そこで生まれ育っていく生の環境として、あくまで私たちの身近かな一般的な建物のレベルがより重要な意味をもっているのです。そうした意味において、私たちが未だ戦前の住宅の質をのりこえることも出来ないまま迷い続けているということは、いかに太平洋戦争による住宅の歴史的中断が多きな損失をもたらしたかを物語っているということができましょう。このままの状態では住宅の文化的遺産として、私たちは次の世代に何ら確かな足どりをも残すことなく終わってしまう可能性が強いのです。住宅は現在、私たちがよりよく住まうものでなければならないと同時に、次の世代にとっての確かな足がかりとして用意されなければならないものでもあるのです。
これらの項目を考えながらドムススタイルは築かれていきます。
理想の住まいの形は本来、十人十色のはずです。
住む場所が違えば、見える景色、光の入る時間、風の吹く方向
また、住む人が変われば好みや、想いが変わってくるのは当然のことです。
お施主様のご要望、敷地の個性、それらを紐解き
要望の向こうにある本質を見極め、それらを形にしていく
それが私たちの考える設計という作業です。